kenta-room’s blog

赤裸々に、気ままに、生きていこう

大切な何かは、ドキュメンタリーの中に埋もれている

今日はハローワークの認定日みたいなもので学校はお休みです。

待ち時間が嫌だから、8時台にハローワークへ。

指定時間が13:00になっていたけど、一切無視。

行ったら、人もいなくて話もサッと終わった。

家に着いた時に、携帯に電話が。

電話に出ると運送会社からで、

「倉庫へはどのようにむかったら良いですか?」と。

前職では、自分の携帯を仕事にも使っていたから

40フィートのコンテナが入庫する当日に連絡が入る。

その都度、会社を辞めた事を伝えるのだけど、未だに電話がかかってくる。

面倒臭いけど、毎回倉庫へのトレーラーの進行方向等を説明をして電話を切る。

その後、朝ごはんを食べながら録画していたドキュメンタリーを見る。

 

一昨日に放送されていた「釜ヶ崎の肖像」って番組。

定年を迎えたカメラマンがボランティアで釜ヶ崎にて、

年末に無償で写真を撮っているといった内容のものだった。

色んなお爺さんが出てくるんだけど、それぞれ懸命に生きている姿を写真に残す中で

一人一人のエピソードを聞いていたら涙が止まらなくなって。

誰しもがそうだけど明日なんてどうなるかわからない。

一人のお爺さんは写真を撮った後に、姿を見せなかったけれど、

写真撮影後に、自室で孤独死されていた方の話が一番涙が出た。

亡くなる前に妹に会いたいって話されていて、会えないまま亡くなってしまったんやなとか

勝手に感情移入してしまってものすごく悲しい気持ちに・・・。

また印象に残っているシーンは、

撮影に使っている仮設小屋の中に壁いっぱいに白黒写真が貼ってあって

その写っている人、どれも個性的な人ばかりなんだけど、

全ての写真がとても良い写真だったこと。

ほぼ高齢者の方だと思うけれど、高度成長期に体を張って働いてきた

多くの無名の人の生き様が、その場所にあったように自分には思えた。

 

ドキュメンタリーは色々と考えさせられるし、

物事の本質って何だろうって思う。

漠然としてはいるかも知れないけれど、

自分は、何か人として大事なもの、埋もれてしまっていたり、無くしてしまっていたり

見えなくなっていることに改めて気付かせてくれることが多いような気がする。

最後に、ドキュメンタリーに出ていた工藤さんって方がとても明るく、

話し方も穏やかだった。

自分は、番組を見て少し重苦しい気持ちになっていたのだけど

この工藤さんの明るさに少し気持ちを軽くしてもらったような気がする。

自分も大変な中でも、気持ちだけは明るく持っていたいなって。

だって、この工藤さんに今日の自分は元気を分けてもらったような気がするから。